「マチュは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」という情けないことを言うシャアに対して、マチュにはシャア・アズナブルをボッコボコにしてほしかったのだなという気持ちがあったということで個人的な感想を書いていきます。
感情整理ポイント:俺たちは何を観ていたんだ?
- もっと暴れてほしかった。マジで。
ファーストガンダムをベースに二次創作的展開に突っ込むなら、どうせならとことん突き抜けてほしかった。
エヴァ的演出?巨大化?うーん……やるならもっと狂ってほしかった。 - シャアを女性陣にボコらせてくれ。なんなら物理的に。
マチュ・ニャアン・アルテイシア・ララァ・キシリア・ハマーンあたりでリベンジャーズ組んで、全員でシャアを修正してほしかった。
でも現実は「またララァに救われてるシャア」……もう何周目だこれ。
シャア VS ジュドー:なぜ比べてしまうのか
ちょうどZZを履修した直後だったので、シャアとジュドーって、陰と陽のニュータイプみたいなものだなと思っていたのでちょっとだけまとめる。
要素 | シャア | ジュドー |
---|---|---|
妹 | 成り行きで殺しかけるレベル | 妹のためにMS盗む |
女性関係 | 母性依存・ララァ・ロリコン・こじらせ | プル×2、ハマーン様を虜に |
目的 | 迷走しがち | 「生きる!」でゴリ押し |
この比較、ガンダム初見の人に「どっちが正義?」って聞いたらだいたいジュドー選びそう。
だからこそ、マチュにも「ジュドー的シャア破壊力」を期待してしまったのかもしれません。
若者ニュータイプとして、シャアをボッコボコにできる素養をもったジュドーのような役割をマチュに求めてしまっていたことが筆者の無駄にがっかりしたポイントです。
マチュ、結局どうだったの?
ぶっちゃけ言ってしまうと、“今どきの女子”って感じがしなかった。
「おじさんが書いた女子高生キャラ」感が強めで、「ボコってくれる感」ゼロ。
個人的には、平成のアニメの脇役っぽさすら感じたので、せめてZ世代の怒りを代弁するようなニュータイプパンチをシャアにかましてほしかった。
シュウジ、なんだったの?!
この作品、結局シュウジって何だったの問題に尽きる。
「ララァを殺したくない」という彼の動機、ラストで回収されたようでされてないような……。
アムロの意思に取り憑かれた少年?それとも作者の意思を背負った観測者?
もはや彼が一番悲劇的で一番置いてけぼりだったのでは?と観終わってから気づいてしまった。
最終的な感想:なんやかんやでファースト最高
序盤〜中盤は「若い世代によるファーストガンダムの再構築か⁉︎」とワクワクしてたものの、
ラストは「やっぱりファーストガンダムって最高だったね✨」で着地。
この原典依存性が良くも悪くも本作を縛っていたのかなと。
筆者としては「ファースト(昭和)をぶち壊して、ジークアクス(令和)を創ってくれ!!!」という欲求が満たされなかったのが最大の悔しさ。
まとめ:シャアはボコられてナンボ。マチュ、次は頼んだぞ。
どうか俺たちおじさんのシャアをボコボコにしてくれ
ララァによる救済で終わるより、Z世代による「修正」を見たかった
ファーストガンダム依存はもはや宗教。でもその宗教に風穴開けるのがジークアクスじゃなかったのか!?という期待は打ち砕かれた。
次、同じようなことをするとしたら頼むよ。