「見た目の美しさとアクセシビリティのパラドックス」の疑問
アクセシビリティを頑張るとデザインがしょぼくなるってなんでだっけ?
みなさんこんばんは。
宮城県仙台市にてWebのちからで様々な情報にアクセスしやすくし、様々なパフォーマンス改善をしちゃったりする時にはWebディレクター、時にはWebプランナー、時にはWebエンジニア、時にはWebデザイナー。
世界中の「Webデザイナー」の味方、ma-sanです。
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そもそも淡い色使いのほうが健常者にとって見やすいってほんとかな。世の中のこの色使いが「センス」の話なのか、「実数」の話なのかで大きく変わる気がするなぁ。— ma-san(鈴木正行)@仙台で働くWebデザイナー (@ma_san__) March 13, 2020
先日、公開された記事を読んでみてなかなか疑問に思ってしまったのでちょっとだけ記事にしてみます。
というのも、Webサイトに限らずですが「アクセシビリティ」と「ビジュアルデザイン」って対にされやすいんですよね。
その中でも筆頭なのは「色差」を始めとした色使いだったりするのですが、こちらの記事でもその「色の使い方」について言及されています。
内容を読んでみて、おそらくは「デザイナー」が書いたであろう記事だと推測できるのですが、ようするに「美しさの重要性」で言及されている一文に意味が込められているかなと読み解けます。
美しさを軽視し、アクセシビリティに強くこだわる人もいます。
「アクセシビリティを担保すると美しくない」ということで「バランスの重要性」についても言及されていて、双方を尊重しようと書いてありますが、これこそがパラドクスではないかと思います。
そもそも、アクセシビリティを担保した、と言っている色使いが「美しくない」のでしょうか?
それこそ健常者ファーストのものいいではないでしょうか?
これはなかなか難しい課題な気もしますが、個人的にはこの色差ががっつり担保された色使いのほうが使いやすいようにも感じます。
美しいとしているデザインが「色差を薄くして見にくい」としか思えないのは僕がだけでしょうか?
まとめ
アクセシビリティを担保すると「美しくできない」というパラドクスこそ、さらに考えなければならないことです。
いっそのこと、「美しくない、アクセシビリティを担保したデザイン」にどのようにしたら「美しい機能」として成立させることが可能か考えてみようと思います。